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電気通信大学 共同研究センターメール No.23 巻頭言

退任の挨拶

共同研究センター長 教授 梶谷 誠

昨年4月に2年間の任期でセンター長に就任しましたが、本年3月31日で退任することになりました。この1年間、(株)キャンパスクリエイトの設立、共同研究促進3ケ年計画など新たな戦略をスタートさせ、来年度はさらにこれを加速させるべき責任がありましたが、不本意ながら放棄する形になりましたこと、お詫び申し上げます。
新センター長には、十分な引き継ぎをして、せっかくの新たな飛躍が頓挫することのないよう努めるとともに、今後も共同研究センターを中心とする本学の産学連携の促進には別の立場から努力することをお約束致しますので、この突然の辞任をお許しいただきたくお願い申し上げます。
さて、2年ほど前から、国立大学についても独立法人化が取りざたされ、だれも疑うことのなかった国立大学の存在が怪しくなってきました。従来の日本の大学は、国立、公立、私立に大別されますが、新しい独立法人による大学とはどんなものか? 実は、これが未だにはっきりせず、混とんとしています。ここでは、独立法人化については触れず、これからの大学のあり方を社会との関わりに焦点をおいて愚見を述べさせていただきます。
大学は、人材の育成(教育)と学術の創造(研究)の場であることは、何人も異論の無いところですが、なぜこの二つの機能が同じ場になければならないのでしょうか? 私はかねてより、大学は「問答の場」であると考えてきました。大学における「教育」は、後人の問いかけに対して先人が答えることから始まり、自ら答えを見いだす力を持たせることです。そして、未解決の問いに対して、自ら答えを見いだす作業が「研究」なのです。このように、教育も研究もまずは「問い」ありきです。大学には、問題意識を持った若者が、自分の疑問に答えてくれる期待に胸ときめかして、大学に入ってくる。社会のいろいろな問題を持った人々が、大学を訪れ、解決を図ろうとする。そこには、どうしても、自らも問いを持ってその答えを見いだす作業をしている専門家の存在が不可欠であり、それが先生達です。
このように、大学は「問い」を持つ人が集い、「答え」を探る場であると考えます。「問い」を持たずに、あるいは持つ意志がない者が、大学の門をくぐるようになったことが、大学教育崩壊の根本的問題の一つではないでしょうか。大学における「研究」が、大学内部の者の自分の「問い」に集中しすぎて、大学の外の社会からの問い掛けにあまり耳を貸そうとしなかったことが、日本の大学が社会から遊離した大きな原因ではないでしょうか。大学を上記のように「問答の場」とし、その活性化が社会の活性化に不可欠であると考えるなら、そのために社会は大学をどのようにこれを保持すべきか、大学は社会のインフラとして考える根本的な議論を、大学人だけでなく、社会全体でなさねばならないと思います。

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